忘れた本

読書メーター見ていると「こんな本読んだっけ?」ってなる本がある。

内容だけでなく、読んだこと事態がないことになっている。そんなときはラッキー!もう一回読めるやん とはならない。

みんなの感想でなんとか思い出すのだ。

そういう意味でも読書メーターよいよね

電子書籍と紙の本

電子書籍で買う本がだんだん増えてきた。

最初の頃は500円以下の小説や新書のみだったが、1000円を越える書籍にマンガ、技術書。当初より電子書籍で買うことに抵抗はなくなっているし、良さにも気づく。まず買いすぎても本棚を圧迫しない。外出時に数百冊と持ち出せることがよいと感じている。

ただ全てが電子書籍でいいというわけではない。

技術書は紙の方が見易いし、ページ送りが早くてよい。あとタブレットのサイズにもよるが紙面の方が大きい場合が多い。

調べもの系は紙が良かったりするのだ。

 

ちなみに、SF小説は未だに紙で買っている。

未来を読んでいるハズなのに一番遅れているのだ。

出汁巻き玉子

最近、夕飯に出てくるだし巻き玉子がすこぶる好きだ。しっとりとした食感に出汁と玉子の濃厚でありつつサッパリとした感じがよい。ほとんど玉子だけなのに食卓に出たときの存在感も素晴らしい。出汁巻き玉子があるだけで贅沢な気分になる。

黄金色の塊がドンッと目の前に出される。

そのまま食べたい衝動を抑えつつ、はしで切り分け、ふるふるする断面を口に運ぶ。ジュワッ。最高だ。

玉子料理はトマトと玉子炒めが一番好きだったが、家のだし巻きが一番になりつつある。

トマトの旨味も好きだが、出汁の旨味の方が好きなのだ。日本人だもの仕方がない。

うちでは銅製の玉子巻き機が使われている。料亭でありそうな面持ちのやつだ。どうせ買うならと欲しかったから勢いで買ったのだ。正直、重く、油を馴染ませる必要があるため面倒ではある。また金額に見合う価値はあったのかわからない。しかし、それで作られただし巻きが美味しかったのは確かだ。

 

これまでの人生、食卓にだし巻き玉子なんて出たことがなかった。居酒屋のメニューくらいだ。それがどうだ。気がつけば食卓に出てくる。最高か。妻に感謝だ。

ベットから飛び出たい。

休日ベッドで寝ているのが嫌いだ。そう思うのも風邪を引いて今日一日ベッドに縛られていたからだと思う。何もない日は身体を動かしたいのだ。寝ていては何も出来ないし始まらない。時間を無駄にしている感じが嫌だ。

今までがそうだった。休日は昼に起き、ネットワークサーフィンをし、気づいたら夕方になっている。時間に対して勿体ないとか無かった。今はやりたいことがある。寝ていては進まないし、年齢だけ重ねてしまうことに恐怖がある。寝ていることは勿体ないのだ。

目が冴えてるのにベッドにいることは苦痛。

社会人になってから思うようになった。生活するだけでも時間を使う。そこに、やらなきゃいけないことや、やりたいことを入れなければいけない。寝てる場合ではない。

子供の時、忍空のアニメが見たくて冬の朝6時に起きていたことを思い出す。やりたいことがあるのに寝ていられるかよ。

 

やりたいこと

今の仕事に何で就きたかったのか。機械やメカニックという響き、職人、なんかもの作ることに憧れていた幼少期。兄が工業高校に進み、自分もと進路相談したところ高専を薦められ、そのまま機械の道へ。大学は大量生産、車の生産技術、工場のラインに何となくのかっこよさを感じて入り、望んだ事が出来る職場にいる。うん。思ってた通りの道ではある。でも、それに対しての情熱ないねんな。やらなきゃとは思うが休日使ってまでやりたいって思わない。その差なのか、昇進に興味ないのか、周りとのやる気?の差を感じてしまう。置いていかれる危機感が募る。

やりたくないなら辞めればいいだろ。仕事は強制されているものではない。好きにすればよい。では、辞めたあとは?やりたいことはあるのか?情熱を持てるものがあるのか。やってみないとわからん。 うん駄文。

落ち込んでる場合じゃない。

圧倒的な仕事量を前に、出来ない自分がいる。「こなせる量じゃないな」とごちる。

管理限界は越えた。どれが優先すべきことなのか。色々な部署からあーだこーだが飛んでくる。メールを返すだけでお昼前になる。

息つく暇がないが、やるべきことが出来ていない。怒られる。

自分はできない人間なのかと、出来ない自分を受け入れる。日々無くなる元気と笑顔。「少しは笑えよ」と言われるが笑える状況かよ。誰か助けてくれ。気づいてくれ。

自分に出来る仕事ではない。出来ないです。ここは自分には合わない。もう疲れたんだ。

家についてもやる気がでない。元気の出る職場とかないのか。もう嫌だ。辞めたい。

 

 

とか思って落ち込んでたけど、何にも前進しないのな。ほんと落ちるだけ。落ち込むだけ損だってわかったわ。今日は走って寝るとする。

ライナスのタオル

子供の頃に手放せなかったアイツ。最近ふと手触りのよいタオルを触っていたら思い出した。毎日保育園から帰ると、一目散に走って取りに行った。
触ると気持ちよく、唇に当てると幸せになる。
毎日飽きもせず延々触っていたが、洗濯された日は最悪でゴワゴワして気持ちよくなかった。しかし数日経てば元通り、肌触りが心地よい。ボロボロに穴が開いても手放さなかったが小学生になり、いつの間にか無くても大丈夫なっていた。
今になって思うがあんなに手放せないものってこれからもないんじゃないだろうか。
あの安心感は今だったら何で得られるのだろうか。

と、唇にタオルを当てながら考えていたら嫁に汚い!と起こられた。安心するんだから仕方ないじゃん!